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ホープリヴスの存在価値

夢は所詮 夢。僕はこの言葉をある身近な人から言われた事があります。この時、自分の夢を貶(けな)された瞬間であり、本来応援してもらえると思っていた反動から、かなりのショックを受けた記憶が今でも忘れられません。ただ、この言葉があったからこそ、今の自分があると思っており逆に感謝しています。この当時のことを本人が覚えているかは不明ですが、その方は僕が本当にその夢に本気で取り組むかを試す意味で言ったのか、本意で言ったのか、どちらの意味で発言されたかは、それは未だに分かっておらず、いつか真意を聞こうと思っています。振り返ると、この出来事があったからこそ僕が生きる人生において失敗した時や悩んだ時、未来が遠く思えた時でも、夢を実現させるために何事にもポジティブに考えられるようになった”キッカケ”でした。

時が過ぎた2011年3月11日、あの東日本大震災が起こりました。僕の生まれ育った実家は福島県南相馬市。当時、僕自身は首都圏でしたが、両親や兄弟家族は南相馬市に住んでいました。幸いにも身内全員は無事でしたが、津波は僕が子どもの頃や、中高生時代に遊んだ沿岸線の景色を跡形もなく奪い去ってしまったのです。

津波はそれだけに収まらず、すぐに原発事故の発生。実は僕の実家は福島第一原発から半径21kmの地点。当時の避難指示区域20kmをギリギリ免れてはいましたが、現実は両親や兄弟家族、全員一時的に地元を離ざるを得ない状況でした。現在は、両親や兄弟家族は地元南相馬で生活を続けています。

その当時、偉大な経営者達が東北復興のためにと、個人的に100億や10億という多額な寄付を行ってるのを目の当たりにし、大きな衝撃を受けました。世の中には、こんなにもすばらしい人がいるのだと、その時、僕は生まれ育った地元にすら何の力にもなれない無力さを痛烈に痛感しました。もちろん、寄付という形だけが理想ではありませんが、ただ、この出来事がいつか福島のために貢献できることを成し遂げるという夢と希望を抱いた人生第2の”キッカケ”でした。

その時代の社会情勢や経済情勢に伴って、主力事業を変動させていますが、今現在は画像・動画・ボイス生成AIおよび3DVRをメインとして事業に取り組んでいます。画像・動画生成AIと3DVRを駆使して、あの子どもの頃や、中高生時代に遊んだ沿岸線の景色を鮮明に再現し、あの当時のように沿岸線を歩くことができる日を実現できるように希望をもった夢追い人です。

何を夢物語を、何をバカげたことを語っているんだ。あの日を思い出したくない。という方も中にはいることも重々承知です。でも、批判やネガティブではなく夢や希望を常に持ち続ける事で、その瞬間辛い事や嫌なことがあっても、それを実現させるために何度でも前向きに生きていけるのもまた事実です。そして、それが実現した時には誰一人として、批判的なことを発する人はいなくなっていることでしょう。それは、過去の偉人たちが教えてくれています。

人生には、その後の人生を大きく変える”キッカケ”があります。でも、それは頻繁にある訳では無く、ましてや、その時には気付かないものです。振り返って初めてあれが”キッカケ”だったと分かるものだと思います。

ホープリヴスの存在価値は、企業理念にもあるように世界を変える”キッカケ”の創造です。この世界とはworldの世界というよりも、業界の世界、常識の世界、そして何よりもその人の世界観を指しています。ホープリヴスの使命は、より多くの世界中の人々が自分の人生を振り返った時に「あの出来事が”キッカケ”だった」と人生の転換点が起きるような”キッカケ”を創っていく事で、人々に幸せを与えられるような存在になることと考えております。ホープリヴスが関わる事業を通して、一人でも多くの人々が幸せを実現できれば、それ以上に嬉しい事はありません。

ある有名な方でこんな言葉があります。

「人生というのは結局は選択の連続です。自分の人生を振り返った時に、何か行動を起こして失敗した後悔よりも、行動を起こさなかった後悔の方が一生後悔する。」

これからの人生の先に仮に失敗や失望が待っていた場合、やっぱりな、だから言ったんだ。という笑い声が聞こえてくるでしょう。その時は大いに笑ってくれて構わない。既に今までに夢や希望を語っただけでも、数えきれないくらい経験済みだから。それが怖くて夢や希望を諦めたくはない自分でいつ続けたいと、常に心に持ち続けながら日々挑戦してまいります。

西内雅之